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J.R.R.トールキンの『指輪物語』におけるホモソーシャリティとslash文化2-2

2.Slash的思考回路

 なぜSlashを好む「女性」たちは、あえて自らの性であるところの「女性」を排除した恋愛物語に夢中になるのか。日本における「腐女子」に対する研究なども含め、こういった疑問に対する答えとしてしばしば目にするのが、「女性が男性同性愛を描く現象は、男性優位の物語や社会に対するアンチテーゼである」とする論考である。例えば鳴海丈は、日本のマンガ・アニメを例にとり、「やおい」文化は「男の友情至上主義に対する、女性からの無言の抗議」(鳴海, p145)と説明する。また、藤本由香里は「少年愛の形をとることで少女たちは、強姦を描いてもSMを描いても、自分の側だけに痛みを引き受ける必要はなくなった。……それに何よりこれによって女は、一方的に犯られる側の立場から解放され、犯る側の視線、見る側の視線をも獲得した」(藤本,p37)と述べ、女性による主体性の獲得という点を示している。このような考え方のベースにあるは、現実社会あるいは二次創作の対象となる物語世界において、女性が男性に比べて何らかの形で疎外・抑圧されているという意識だ。これは日本の「やおい」文化だけに限ったことではないらしく、パトリシア・フレイザー・ラムとダイアナ・ヴァイスは、『スタートレック』シリーズのSlashにおいて描かれるカークとスポックの関係について、以下のように説明する。
 
「男性とのつきあいにフェミニストがしっかり絶望しきっている今日のセクシズム社会にあって、これらセクシュアル・ファンタジイにおけるふたりの関係は、多くの女性に望まれる「対等な」関係を提示している。」(小谷,『女性状無意識』,p240)
 
 おそらくSlashを好む「女性」たちは、自分たちの性が関わる関係性――男女の恋愛や女同士の友人関係の限界を何らかの形で経験している。だからこそ彼女たちは、自分たちが決して経験することのできない関係性、すなわち「男同士の友情」あるいはそれを超えた「同性愛」の中に何かしらの理想を見出そうとするのではないか。C. Salmon とD. Symons が”slash writers and readers derive pleasure from imagining romantic or sexual relationships built on the foundation of an established friendship” (C. Salmon & D. Symons, p99)と論じるように、おそらくSlashの根本は恋愛ではなく友情にある。

 この友情という概念は社会的にも、ある意味特権的な地位を与えられている。男女の恋愛は、最終的に子孫という形で結果を残しうるものであるため、長い歴史の中で「婚姻・出産」という社会的システムに囲い込まれてきた。そもそも同性愛が「異端」とされたのも、19世紀の近代国家とそれを支える家父長制というシステムに反していたためであった。それに対して友情は、それを保障する制度や行為が存在しない代わりに、システムによって生まれる不平等や差別からも自由な立場にある。このどこか現実離れした感情に、恋愛の要素を足すことで、友情とも恋愛とも異なる新しい関係性を描けるのではないかという試み、それがSlashなのではないか。
 
 このように考えると、Slashとは厳密な意味での「友情から恋愛への読み替え/書き替え」では無い。女性たちがそれぞれ思い描く自分の中の理想を、原作の関係性を借りながら、それでいて原作とは全く異なるフィクションとしてアウトプットしたもの、といった方がより正確だろう。もっともSlash作者や読者が意識的にこのような「理想の具現化」を行っているとは考えにくいが、二次創作の元となる原作や、その中で取り扱うキャラクター同士のカップリングが人によって千差万別であるのは、好みという一言で片づけるには個人の自我やそれを支える価値観に深く関わっているように思われる。水間碧は女性の少年愛嗜好[i]やそれに伴う二次創作という行為について、「無意識の表出」(水間,p36)という説明を行う。自己の中にある何らかのイメージ――男性性あるいは両性具有性といったものをキャラクターに投影し、彼らを空想の世界で遊ばせることは、単なる現実逃避にとどまらず創造的な価値を持ちうるというわけだ。

 つまり、Slashややおいのような二次創作は、完全なオリジナルでは無いものの、一種の自己実現として捉えることができ、しばしば「自分不在の物語」とされるSlashややおいにも何らかの形で自己は仮託・反映されている。さらに、それを仲間と共有しコメントや評価といった形で賛同を表明しあうことで、Slashという形で実現された自己を認めてもらうという承認欲求をも満たすことに繋がる。今日インターネット上において、様々なファンによるコミュニティが形成され、しかもそれが嗜好に基づいて細分化されているという状況は、以上のような理由による部分も大きいのではないか。前項で論じた「異性愛主義のバイアス」を出発点としながらも、ファンタジー[ii]としての男性同性愛を楽しむSlash文化は、抑圧と創造力の間で揺れる「女性」たちの自己を映す鏡なのかもしれない。



[i] 「「女性の少年愛嗜好」とは筆者である私の造語だが、要するに「女の人のホモ好き」のことであり、人によっては「少女の少年愛趣味」といわれてきた現象のことである。」(水間,p9)
[ii] ここで言うファンタジーは文学的なジャンルのことではなく、心理学的な「空想」の意味を指す。

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