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J.R.R.トールキンの『指輪物語』におけるホモソーシャリティとslash文化2-1

第2章 Slash文化について

1.Slash文化の起源と発展

 Slashとは、主に女性によって描かれ消費される男性同士の恋愛を扱った二次創作であることは既に触れた。この文化と『指輪物語』の関連性について述べる前に、2章では一度『指輪物語』という枠を離れ、Slashがいかにして生まれ、現代に置いてどのような広がりを見せているかについて考察する。
 
 C. SalmonとD. Symons によれば、Slashの始まりは1970年代中頃、アメリカのTVドラマシリーズ『スタートレック』の女性ファンが、作中の登場人物であるカーク船長とその副官スポックとの恋愛物語をファンマガジン(同人誌)として書き始めたことに遡る。(C. Salmon & D. Symons, p94)ファンマガジンは当初個人間での通販や、ファンが集まるイベントなどで売り買いされていたが、今日のSlash文化の中心はインターネット上へと移っている。このような現象はアメリカのみに留まらず、奇しくも同時期にイギリス・ドイツ・オーストラリア・カナダなどの資本主義先進国で発生してきたようだ。日本もまた例外ではなく、70年代からオタク文化の一要素として、女性が男性同士の恋愛を扱う「やおい文化」[i]なるものが存在している。

 ジェンダーやセクシュアリティの問題を論ずるにあたり、70年代というのは一つの転機として捉えられる。アメリカでは、ベトナム反戦運動、フェミニズム運動、公民権運動といった社会運動が生まれており、これらの担い手はそれまで社会的に弱い立場に置かれていた若者や女性や黒人たちだった。「女性」という視点では、70年代初頭のウーマンリブ運動は先進国を中心に広がり、1975年は国際婦人年と定められメキシコで第一回世界女性会議が開催されるなど、フェミニズムの高揚は一定の結果を残している。このような動きの影響の下、「同性愛」という視点にも新たな展望がもたらされた。1969年のストーンウォール事件を契機としたゲイ/レズビアンの解放運動は、アメリカのみならず西洋圏を中心に広がりを見せた。これによって、それまで日影の存在であった同性愛者たちが可視化されたのみならず、同性愛に対する「病理」「性的逸脱」という考え方も改善を迫られることとなる。このような社会運動に共通するのは、差別の撤廃や不条理の是正を訴えながら、それまで当たり前と思われていたものを疑い、新しい価値観の創造を目指すという点である。「男らしさ」「女らしさ」、あるいは「同性愛」と「異性愛」、このような概念そのものが社会的につくられたものであるという指摘と、さらにその二項対立の図式が崩壊していったことは、社会における性の認識に大きな影響を及ぼしたであろう。Slashやその類似文化が、女性を担い手とするサブカルチャーとして世界の複数地域で同時多発的に発展してきたことは、上記のような時代の様相とも関係しているのではないか。

 しかしながら、Slashは必ずしも現実の同性愛を描いたり、そこから同性愛の擁護や差別撤廃を訴えたりするものでは無いようだ。むしろそれは女性読者の頭の中で繰り広げられるロマンティックな空想としての”a female fantasy” であると、J. Russは指摘する。(C. Salmon & D. Symons, p98) つまりSlashが扱うキャラクターというのはそもそも既存作品における架空の存在であることに加え、女性ファンの想像や解釈が入り混じった結果として生まれた、現実の男性とは全く異なる「何か」である。小谷の言葉を借りれば「「やおい」テクスト内部で描かれている男性は、現実の「男性」ではなく、「一角獣」のような幻獣」(小谷,p250)であり、そこで語られる物語は現実からは乖離したものなのだ。

 C. SalmonとD. Symonsはこの”a female fantasy”としてのSlashをロマンス小説との共通点という見地から論じている。曰く、男女の恋愛を扱ったロマンス小説と、男性同性愛を扱っているSlashは、表面上は異性愛と同性愛という差異はあるものの、中心となるテーマやキャラクターの表象・心理描写といった創作上の作法は根本的には同じであり、最終的な主題は理想的な恋愛関係を成就と、それに至るまでの様々な困難を克服することに終始すると言うのだ。例えば身分・国籍の違いや、恋の邪魔をする第三者、望まない結婚や戦争などによる離別のような「障壁」は様々に考えられるが、Slashの場合はさらに「同性愛」というタブーが追加される。前述した『スタートレック』シリーズのカークとスポックを例に挙げるならば、「一見したところ記号表面上は同性愛であり、しかも異星人同士であり、しかも職場恋愛である彼らの愛がいかにして主導権をもちえるか?」(小谷, p241)という訳だ。したがってSlashにおける「男同士の恋愛」とは恋愛における数々の障壁の中に「同性愛」というキーワードを追加しただけのものであり、関係における男役と女役が厳密に区別されるSlashの本質は、男女の恋愛関係の変奏として捉えることができる。そして、この背景には同性愛をタブーとして捉える価値観、すなわち19世紀以来欧米社会を支配してきた強い異性愛主義のバイアスが存在していると考えられはしないだろうか。

 以上を踏まえると、一見ホモセクシャルを好意的に捉えているように見えるSlash文化のメンタリティは、実は異性愛主義という一点においてホモフォビア的発想と出発点を同じくしていることになる。後者が「男同士の友情をホモセクシャルと捉えられたくない」という反応を示すのに対し、前者はその友情を恋愛の物語へと積極的に読み替えたり書き換えたりしようとする、その心理や思考パターンはいかなるものなのか。次の項目では、Slash文化における女性作家/読者たちの社会的・心理的背景をさらに詳しく考察していこうと思う。



[i] 「やおい」とは「ヤマなし、オチなし、イミなし」の略で、女性ファンが既存の漫画やアニメをパロディ化して、男性キャラクター同士の恋愛を扱った物語をさす。小谷は「ヤマなし、オチなし、イミなし」とは、「やおい」が「パロディ的性格ゆえに物語性をほとんど必要とせず、過激性描写のみがエンエンと続く」(小谷、p243)ことに対する自嘲的な表明だと述べる。また、「やおい」を楽しみ消費する女性のことを、やはり自嘲をこめて「腐女子」と呼ぶが、これは日本のオタク文化を背景とする呼称であるため、英語という言語を前提とするSlash文化を論じるに当たり「腐女子」の呼称はあえて避けた。

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