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立教大学公開講座「トールキンとゲルマン神話」レポート

 

https://www.rikkyo.ac.jp/events/mknpps000000kjua.html

 

106日、立教大学内で行われた公開講座に参加してきたレポ。

講師はボン大学のドイツ学者・北欧神話研究者であるルドルフ・ジーメク先生。

通訳に信州大学准教授の 磯部 美穂 先生。

 

(私はドイツ語まったくの未履修なので、完全に通訳頼りです。ところどころ主旨やニュアンスが危うい箇所があるかもしれません。雰囲気だけでもお伝えできれば幸いです)

 

 

パワーポイントと解説を使いつつ、自己紹介もそこそこに講義スタート。

うろ覚えですが触りに「トールキンのファンってどれくらいいますかー?」って聞いていたように思うのですが、
パワポにケレボルンとガラドリエル様の姿を映したのも数秒……

 

「今日はエルフの話はしません!」

 

と、バッサリ()

3つの大きなテーマに沿って、徹底して「トールキンとゲルマン神話の関わり」を探っていきます。

 

 

 

1:トールキンが元にした本について

 

トールキン研究でもよく言われる、発想の元ネタ神話群たちから触れて行きます。
パワポが全部ドイツ語で控え切れなかったので、わかった範囲で挙げると・・・

 

『ヴォルスンガ・サガ』

『スノッリのエッダ』

『ベオウルフ』

『チョーサーのカンタベリー物語』

『ニーベルンゲンの歌』

『オレンダール(Orendel)(中世のドイツ語詩)

『デーン人の歴史』(ラテン語の歴史書)

 

etc

 

よく見るタイトルから、ちょっとマイナーなものまでざざっと列挙。

例えば『エッダ』の一部「巫女の予言」という下りを見てみると

 

 

 10.
そのとおりに、ドワーフたちすべての中で一番偉いモーズソグニルが生まれ、2番目にドゥリンが生まれた。人間に似たこの二人は、ドゥリンの言によれば土からたくさんのドワーフを作った。

11.
ニーイとニージノスノリ、
アゥストリとヴェストリ、アルショーヴル、ドヴァーリン
ビヴォール、バーヴォール、ボンブール、ノーリ
アーンとアーナッル、オーイン、ミョズヴィトニル

(中略)

13.
フィーリ、キーリ、フンディン、ナーリ・・・・(後略)

 (伊藤盡『指輪物語』p71)
※講義レジュメより引用。

 

 

・・・うん、見たことある名前が沢山。

全部読み上げながら先生も半笑いだったよ、この下り。

 

このあたりのことは『ロードオブザリング 「指輪物語」完全読本』(リン・カーター著、角川文庫)にも書いてあったので、気になった人はこっちでも概要把握できるかも!

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2:オーディンの反映

 

オーディンは北欧神話における主神。

気象神、魔術の父、賢者、老人、戦いの神etc

とにかくポジティブ・ネガティブ色んな側面を持つ神様です。

 

ジメック先生によれば、このように様々あるオーディンの側面を、トールキンは色んなキャラに振り分けて居るとのこと。

今回はガンダルフ、サルマン、サウロンの三例を挙げておられました。

 

ガンダルフ……賢者、長髯、灰色の髯、目深に帽子を被った者 etc

 

サルマン……放浪者(これはガンダルフもでは?と個人的に思う)、知識を欲する者、魔法に長けた者 etc

 

サルマン……全てを見透す神、高座につくもの etc

 

などなど。

 

オーディンのケニング(※こういう「◯◯するもの」みたいな厨二感溢れる二つ名的なアレ)はもっと沢山あって、ウィキにも載ってますので(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3)

それを見ながらひたすらどの束キャラに当てはまりそうか考えるのも楽しいと思います。

 

(個人的には「誘惑に長けたるもの」とかめっちゃサウロンぽいなと。)

 

サウロンに関しては「オーディンだけじゃなくルシファーの要素もある」ということを、ジメック先生は仰っていました。

(ルシファーはむしろメルコールの方じゃねーかなーなどと思ったり………いいえ、シルマリルまで広げるとキリないからやめましょう!)

 

 

 

3: トロルの変遷

トールキン世界でのトロルといえば、巨大で知能は低いが力のある悪いモンスター。

このイメージは、古い神話からあるかというとそうでもないらしく

トールキンの場合は、色々いる低級モンスターの一つにすぎなかったトロルを

ホビットやドワーフ、エルフやらに並ぶ種族の一つとして発展させたという感じらしい。

(すいませんこのあたり通訳の聞き取りも曖昧だったので違ったらご指摘ください)

 

このセクションでは地域や時代によって様々に変化するトロール像を紹介して頂きました。

 

ノルウェーのおみやげ屋さんや観光地で見られるキャラクター化された可愛いトロールや、

子供向けの絵本などで発展してきた親しみやすい人型のトロール

もちろんトーベ・ヤンソンのムーミンまで。

 

時代によって様々なファンタジー(この場合は願望とか理想という意味かな?)を反映して、時に親しみやすく、時に肉感的に、時に政治的な場面で恐怖の象徴的に描かれてきたトロールたち。

 

こういう事例を見ていくと、あくまでトールキンは、中世期に受容されていたトロール像(=人を食べる悪いモンスター)という側面を発展させたのかなーという印象が深まります。

 

とはいえ、『ホビット』のちょっとコミカルな三体はともかく、
『指輪物語』の方だと知能ある独立した一種族という所感は薄れる気がするので(なんか攻城兵器A,Bみたいな使われ方じゃん?)
「他に並ぶ一種族」かと言われると個人的にはうーーーーん?? と首を傾げたくはなる箇所。

そこんとこどうなんでしょう、創造主のメルコールさん?

 

 

 

4:質疑応答

聴講者から出た質疑応答のまとめ。

質問の要約や記憶が若干曖昧なので、適宜訂正していきますが、なかなか興味深い質問が出ていました。

 

Q:神話に見られるアーキタイプと現代の創作物との関連に関してどう考えるか

A:宗教の分野ならともかく、文学研究としては「テキストがどう受容されるか」に重きを置いているので、それについてはカバーしていないとのこと。

(この質疑は結構複雑だったのでだいぶ端折っちゃってます。どなたか情報求む!)

 

 

Q: オーディンの色々な要素を複数のキャラに振り分けた意図とは? またネガポジ様々な側面を持つオーディンを、当時の人々はどう信仰していたのか?

A: 完全にポジティブなイメージが善側キャラに、ネガティブなイメージが悪側に振り分けられているかというとそういう訳でもない。(ガンダルフにしろサルマンにしろ様々な要素でできている。)

信仰に関しては、二つの時代に分けて考える必要がある。

完全なる原始異教時代に関してはわからない。

キリスト教の伝播以降に関しては、オーディンの側面はやはり善悪が混在したまま受容されていたと考えられる。

 

Q:トム・ボンバディルの源泉ってどこだと思う?

A:正直わからん。(ですよねーーー!)ただ、仮説を述べるならば、1415世紀ごろに自然の力の象徴として多く表象された「グリーンマン」があるのではないか?

 

補足:グリーンマンとは中世の教会建築なんかにみられる葉っぱで覆われた人のモチーフ。ケルト神話などの森林・樹木へのアニミズムの名残と考えられている。

 

 

 

Q:トールキンは「イギリスのための神話」を作ろうとしたと手紙にも書いていますが、元ネタを探ると北欧やゲルマンのものが多くヨーロッパ全土に渡るように思えるのですが…  イギリス的な要素というのはどのあたりなのでしょうか?

A:まったくその通りで、指輪物語は95%スカンジナヴィア、5%がイギリスです。(今回の個人的ハイライト。先生キレッキレでした 笑)

もちろんケルト的な要素や、イギリスの伝承の要素もあるが、それはキッカケ(5%)に過ぎないという印象だそう……

 

 

 

Q:オーディンの描写で「アジア(トロヤ)から移住してきた」というものが挙げられていたが、その根拠になる文献や研究はありますか?

A:ヨーロッパ全土において「アジアにルーツを持つ」という考えはメジャー。スノッリ以前の歴史家もそういうことを述べているし、フランケン人という民族はやはり起源はアジアにあふと自称していた。

先生自身も「トロヤからグリーンランドへ」という論文を書かれているそうです!(宣伝)

 

 

Q:オーディンが反映されるキャラとして、茶色のラダガストは?

A:もちろん入ると思います。

 

 

Q:『指輪物語』を読んでると植物の描写が多いように思いますが、何か神話との関わりは?

A:あまり無い。ゲルマン神話において植物の描写はあまり重視されていない。描写が詳しいのはむしろトールキン個人の拘りに由来するのではないか。

 

 

5: 全体的な感想

今回はとにかくゲルマン神話もといエッダやサガに書かれるテキストと、トールキン作品との繋がりに重点を置いていました。

エルフの元ネタや、ドラゴン退治のくだりの類似なんかはら今までもよく言われていたけど

オーディンの要素の反映というとはこの講義で初めて聴いたのでとても興味深かったです。

 
先生の著書にも手を出してみたいところですが、残念ながら英訳されているのは1冊しか無いみたいで・・・
今回のお話はこちらの本(ドイツ語版のみ)に詳しく書かれているようなので
トライしてみるのも良いかもしれません。

https://www.amazon.co.jp/Mittelerde-Tolkien-die-germanische-Mythologie/dp/3406528376/ref=asap_bc?ie=UTF8


あーーー!ドイツ語がわかればなーーーーーーーー!!! 

 

 

 

拍手[2回]

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“Be fond of”, and “I love you”  ~『指輪物語』の台詞における愛情表現~

主旨要約:【原作台詞の「好き」とか「愛してる」が出てくるここが好き!!!なお、原語だとこの単語だぞ・・・いいぞ。】

 

もともと別件でキャラの関係性の描写を調べていて、「愛」だの「好き」だの好意の表明が登場するところにひたすら付箋を貼っていたという無駄なストックがあったので、まとめて記事にしてみた。
その中のいくつかをひたすら紹介していく内容です。

(※抽出元が偏ってるので予めご了承ください)

※引用ページは日本語版は文庫本に、英語はBallantine Books版のペーパーバックに準拠)

 

Be fond of

・「そりゃよかった……なぜって、わたしは馳夫さんがとても好きになったからです。そうですね、好きって言葉はぴったりしませんね。わたしにとって大事な人ということです。」(フロド、『旅の仲間・下1』,p13

原文:’I am glad,’ said Frodo. ‘For I have become very fond of Strider. Well, fond is not the right word. I mean he is dear to me; (FotR,p247)

 

 「数々の出会い」のあたり、裂け谷で目覚めたフロドがガンダルフと話しているシーンの台詞。最初の不信感が解消されて、しっかり頼って信頼してる感じが伺えますね!
 ここで「好き」と訳される“be fond ofは辞書だと【愛する、好む、愛情を抱く、愛着がある】等のニュアンスなので、「なつく」とかそういう雰囲気もあるかなと思います。

 こちらのリンク(http://eitangotsukaiwake.suntomi.com/index.php?like%2C%20be%20fond%20of%2C%20love)によると「likeが一時的な好みを指すのに対し、be fond of は継続的に好きだという状態」とあるので、度合いはlikeより上だとか。

 

他にも出てくるbe fond of はこちら↓


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・グローインはフロドに目をやってにっこりしました「あなたはずいぶんビルボがお好きだったんでしょうな?」(グローイン、『旅の仲間・下1』、p35

Gloin looked at Frodo and smiled. ‘You were very fond of Bilbo were you not ?’(FotR,p257)

 

・「にきびっ面はお袋さん(注:ロベリア)のこと好きだったでな。ほかにはだれ1人好く者のいなかったあのばあさまをよ。」(長男のトム・コトン、『王の帰還・下』p289

‘… that Lobelia, and he was fond of her, if no one else was.’ (RotK,p318)

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Kindle版でも単語検索かけましたが、結構ホビット周辺で出てくる語彙のような印象を受けます。口語的で素朴な言い回しなのかな?と、心なしかほっこりしますね。

 

 

Love

・「あの方々は殿から離れたくないばかりについておいでになるのです――殿を愛していらっしゃるからこそです」(エオウィン、『王の帰還・上』105

原文:They go only because they wold not be parted from thee ――because they love thee.’(RotK,p48)

 

映画だと”Because they love you(貴方がすきだから)”というエオウィンの台詞になってる部分。主語が省略されてるせいで「私は貴方が好き」と誤解されがちですが、映画の英語でも原作でも主語は「殿についておいでになる方々(=レゴギムとか)」を指してるんですねー。


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「それから彼に対する愛情からもだね。」と、レゴラスがいいました。「彼を知るようになれば誰でもそれぞれのやり方に従って彼を愛するようになるのだから。」(『王の帰還・上』p319

原文:’And by the love of him also,’ said Legolas. ‘For all those who come to know him come to love him after his own fasion, (RotK, p155)

 

言いたいことは全部レゴラスが言ってくれた。上記のエオウィンの台詞を踏まえると、こう、「それな・・・・・!!」ってなる部分。このもうちょっと後にも「そして白の木の王へののために(p328) ” For the love of the Lord of the White Tree.” (RotK, p159)ってのがあります。

ていうかやっぱアラゴルンさ、モテるよね。


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・エオメルは答えました。「あなたが丘原の緑の草の中からわたしの前に現れたあの日以来、わたしはあなたが好きでした。そしてこの親愛の念の弱まることはないでしょう」(エオメル「王の帰還・下」p183

原文:’Since day when you rose before me out of the green grass of the downs I have loved you, and that love shall not fail’ (RotK, p267-268)

 

エオウィンの台詞を踏まえると、尊いローハン勢ポイント。訳文で「親愛」ってニュアンスが足されてる事例でもあります。なんというかここで素直に「好き!!」って言えるエオメルの真っすぐさと言うか素直さ、大変好ましいです。あと眩しい。

 

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・「それにあなたはエルフの言葉でさえ、表わすことのできぬほど美しいお方だと思う。そしてわたしはあなたを愛しているのです」(ファラミア『王の帰還・下』p171

原文: ‘…And you are a lady beautiful, I deem, beyond even the words of the Elven-tougue to tell. And I love you.’  (RotK, p262)

 

言わずと知れた(?)ファラミアの告白シーンですね。執政夫婦末長く爆発しろ。ちなみにここの台詞もっと長くて、出てくる愛情系語彙は全部loveです。前述したエオメルの台詞では現在完了形なのでちょっと文そのものが長めな印象ですが、ここのファラミアの「I love you」長台詞の中に光る短文が清々しいです。

 

 

でも簡潔で素朴なI love you はもうひとつあるんです。最後にこちらを紹介しておきます。

 
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・「おらは旦那が好きだ。旦那はこうなんだ。それに時々、どういうわけでか光が透けるみたいだ。だがどっちだろうと、おらは旦那が好きだよ。」(「二つの塔・下 p128」)

原文: ‘I love him. He’s like that, and sometimes it shines through, somehow. But I live him, whether or no.’ TTT, p291

 

サムが眠っているフロドを見ながら1人呟くシーン。指輪の重荷と旅の心労で、どこかフロドの存在が遠くなりつつあるあたりですが、決意を新たにするように、自分に言い聞かせるように、「おらは旦那が好きだ」と言うんですね。泣けない・・・・???

ちなみに同じloveでも「好き」と訳されたり「愛する」と訳されたり、状況や相手によってまちまちですが、このシーンにあえてニュアンスを足すなら「大好き」という感じでしょうか。ずっとずっと傍で支えて、旦那そのものを大好きだからこそ、指輪の影響でボロボロになっても、弱っても、冷たくあたられても、「指輪の重荷は背負えなくても、フロド様なら背負えます!」のあそこに繋がるんじゃないかな~としみじみ思います。



 さて、(多少抽出が偏っていますが)いかがでしたでしょうか?
今回は「人→人」への好意に注目したのですが、他にも国や故郷に対して、食べ物に対して、キノコやパイプ草に対して、『指輪物語』にはたくさんたくさんlikeやloveやfond of が出てきます。
日本語訳では全部「好き」だったりもするけれど、原文でのちょっとしたニュアンスの違いに注目してみるのも面白いのではないでしょうか?


※この記事はTolkien Writing Day(4月8日)に参加しています。
http://bagend.me/writing-day/ 


 

拍手[4回]

世界を変えたのは誰か? ~映画のガラドリエルナレーションについて~

ーー世界は変わった。

水からそれを感じる。

大地から感じる。

大気にその匂いが満ちている。

 

  映画を見慣れた人ならピンとくるでしょう、ロード・オブ・ザ・リング幕開けを飾るガラドリエルの独白です。

 

英語での台詞は以下の通り。

"The world is changed.

  I feel it in the water.

  I feel it in the earth.

  I smell it in the air. "

 

 実は私、この部分を長いこと"The world has changed."という現在完了(have +過去分詞)の文だと誤解していたんですが、(そのリスニング力はどうなのよという突っ込みは甘んじて受けます…) 全然別件の調べ物をしていて、改めてスクリプトを確認して気付いたんですね。

 あ、これ受け身の構文だったんだ、と。

 日本語字幕や吹き替えだと「世界は変わった」と、changeが自動詞のように訳されているので見落としてしまってたんですが、英語に忠実に訳すなら「世界は変えられた、変貌させられた」というのがより正確。

  こう考えると、省略されてしまった本来の主語、「世界を変えようとしている何者か」の存在が浮き上がってくるのです。

 

 では、それは誰なのか?

 

 

◆仮説1: 指輪、ないしはサウロンへの示唆?

  真っ先に浮かぶのが本作品の悪役にしてラスボスの冥王サウロン。中つ国を支配し、闇に染めようと目論んでいる存在です。

 彼の復活とその邪悪な意思が、水に大気に満ちているのを察知したガラドリエル様が、独白でナレーションしている…これは普通に考え得ることです。

  第二紀にあった壮絶な戦いのようなことが再び起ころうとしている、と感覚を研ぎ澄ませ、警鐘を鳴らす。そして不穏な指輪のテーマが流れ、浮かび上がるタイトル…。なるほど、アリです。

 

 ただ、ここで気になるのはナレーションの後半部。

 

「かつてあったものが失われ、忘れ去られた。今はもう誰の記憶にも残っていない(原文:"Much that once was is lost; for none now live who remember it")

 

 いや?待って??

 覚えてる人、まだ中つ国におるよね??

 エルロンド卿とかスランドゥイルとかキアダンとかさ。少ないしほとんどエルフ限定だけど、さすがに「誰の記憶にも」は言い過ぎなんちゃいます??

 

 そこでさらに考えてみた。

 

 そもそも、このナレーションしてるガラドリエル様っていつ・どこにいるんだ??

 

 

◆仮説2: 今は文字通り「今」なんだよ!

  最初は普通に物語開始前夜(具体的には第三紀3000年くらい)にロスロリアンで危機を察知したガラ様のナレーションを想定していたんです。だからこそサウロン復活の兆しとか、指輪への不穏な導入として成り立つと思ってた。

 けれど、もしこれが本当に現実時間での「今」、映画の外側にいる私たち観客に語りかける声だとしたら、どうだろう?

 

  ご存知の通り、中つ国はトールキンの創作世界ではありますが、基本的に太古の地球という設定をとっています。

  つまり指輪物語の出来事や地理・種族は、「今はすっかり消え去ってしまったけど、かつては存在していたものたち」という体で描かれているのです。(そもそも指輪物語がビルボとフロドの書いた赤表紙本をトールキンが英語訳したものだという設定がそれを指し示していますし、現代は太陽の第6紀か第7紀にあたるとトールキンは述べています。)

 

  魔法も妖精も消え、高層ビルに自動車が普及する現代においても、普通の方法では辿り着けないどこか西の海の果てに至福の国はあって、ガラドリエルたち西に渡ったエルフは生きているとしたら……

 

「かつてあったものが失われ忘れ去られた

今は(現世に住む者の)誰の記憶にも残っていない」

 

  この台詞が、遠いアマンの地から、私たち現代人に向けて「貴方たちの知らない指輪の物語を語りましょう」と呼びかける奥方様の声に聞こえはしないでしょうか?

 

◆世界を変えたのは誰か?

  仮説2を踏まえると、世界の変貌とはサウロンによる支配というレベルのものではなく、中つ国の姿が変わり、エルフもドワーフもホビットよ消えた「今」のアルダ(地球)の姿に他なりません。

  ここで最初の問いに戻ります。世界は何/誰によって変貌させられたのか?

  奇しくも、『指輪物語』の前日譚である『ホビットの冒険』の中で行われるビルボとゴラムのなぞなぞ勝負にこんな問題があります。

 

「どんなものでも食べつくす、鳥も、獣も、木も草も。鉄も、巌も、かみくだき、勇士を殺し、町をほろぼし、高い山さえ、ちりとなす。」(『ホビットの冒険』岩波書店版、128p)

 

  答えは【時間】な訳ですが、まさにこの時間こそ、The world is changed の隠れた主語なのではと思わずにはいられません。

 

 とまあこんなことを考えて調べ物をしていたら、中つ国wikiのコメント欄映画の第一部冒頭、ガラドリエルの独白として語られる「世界は変わった。水からそれを感じる。大地から感じる。大気にその匂いがする。」というセリフは、実は原作第6巻、ミナス・ティリスから(エドラス経由で)北方へ戻る途中のケレボルン&ガラドリエルと会ったときに、木の鬚が言った言葉から取られているらしい。 -- カイト」というコメントを発見しました。原作の該当箇所は以下の通り。

 

「世の中は変わりつつありますからなあ。わしは水の中にそれを感じますのじゃ。土の中に感じますのじゃ。空気の中に感じますのじゃ。またふたたびお目にかかることがあろうとは思えますまい」(『王の帰還 下』210p)

 
 ここは、指輪の旅がすっかり終わり、これからはエルフの時代が終わって人間の時代になるよーっていう話をしている場面での台詞なので、映画での使われ方とはだいぶ印象が違いますね。こちらははっきりと、エルフや数々の歴史が忘れ去られていくであろう第4紀以降の中つ国の変貌を示唆しているように思います。

 

  これをあえて映画の冒頭にもってきた意味。それはやはり、中つ国を忘れた私たちに向けて、映画と観客、虚構と現実、あるいはあったかもしれない遠い昔と今――それらを繋ぐ橋渡しだったのではないでしょうか。 

次に映画を見直す時は(もちろんこれから初めて見る人も!)、そんな事を頭の片隅に留めて、ガラドリエル様の冒頭ナレーションに耳を傾けて見てはいかがでしょうか。

 

(原作の引用ページ数は文庫版に準じる)

 

拍手[3回]

なぜ私はレゴラスが好きなのか

この記事はTolkien Writing Day の12月企画、アドベントカレンダーに参加しています。
お題が「何故私は○○が好きなのか」というシンプルかつドンピシャなものだったので、乱文ながら参加させて頂きます。今回は考察と言うより、主観と偏見と願望が混ざった文章になる可能性があるので予めご了承ください。

 それでは参りましょう。

「なぜ私はレゴラスが好きなのか」!!!!!!!!!!!!!!!!


◆ビジュアルの魅力

さて。いきなり身も蓋も無い話からいきますが、やっぱり何と言っても顔です。いや、髪も好きだし、立ち居振る舞いも好きだが、要するに見た目。So cool, so beautiful.

そもそも『指輪物語』への入り口は、映画「ロード・オブ・ザ・リング」でした。当然ながらキャラクターのイメージは最初から全て映画準拠で入っています。レゴラスに関してはもう当時のオーランド・ブルームが演じたあのビジュアルが完璧すぎて、ほいほい釣られたというのが正直な本音。

もともとゲームやアニメに登場するエルフのキャラクターや、「弓」という遠距離武器に魅力を感じていたので、「エルフの王子で弓の名手で、めちゃくちゃ美形のハリウッド俳優が演じてて、金髪で編み込みのロン毛」というだけでフルコースだったわけです。

(トールキンが作ったエルフのイメージが他のファンタジー作品に大きな影響を与えたことを考慮すると、むしろ「派生先」のものに慣れ親しんでいて、元祖に立ち戻ったことになる訳ですが…)

 あれよあれよと原作に手を伸ばし、レゴラスの容姿に関する言及にはすかさず付箋を貼るしょうもない中1でした。「エルフらしいその美しい顔」(『旅の仲間』下1、p98)とか「風のない夜の若木のよう」(『二つの塔』上1、p41)とか「人間の標準の及ばぬほど美しい顔」(『王の帰還』上、p313)とかね、挙げればきりが無いんです。

とはいえ、彼の「王子様然とした」容姿に、そのままシンデレラや白雪姫に登場するようなお伽噺の「王子様」を求めて好きになったのかと言うと、当時から少し違っていました。最初はその正体が何なのかわからなかったのですが、これは原作を読み終わってからの話になります。

 

◆原作でのKYっぷり

 映画から原作に手を伸ばし、恐らく多くの人がびっくりしたであろうポイント。キャラ(性格)が大きく違う。(例:「太陽を見つけに行ってきますからね!」)

 とはいえビジュアルで完全に補正がかかっているので、そこも全て魅力的に見えました。というか、原作の性格の方が好ましく思えたんですね。原作のレゴラスは、雪山の例にもれず、ロスロリアンでも観光気分で浮かれているし、どこか掴みどころが無くて、ふわふわとしていて、自由です。あの過酷な旅の道中、基本的にフロドやホビットに感情移入しながら読んでいた私は、終始難しい顔をしているガンダルフやアラゴルンよりも、レゴラスのこういう余裕にどこかほっとする部分があったのだと思います。

 

◆ギムリとの友情

 レゴラスを語る上で欠かせないのがギムリとの友情。仲の悪い種族同士なのに、類まれな友情を結ぶ2人の関係性は、『指輪物語』にいくつも登場する「友情」の中でも最も魅力的で心に響くものの一つだと思っています。ビジュアルの凸凹コンビ感もまた素敵なんですよ。2人でミナス・ティリスに入っていくと気の描写なんてね、周りの人の好奇心はそのまま読者の代弁です。

(余談ですが当時中1だった私はレゴラスとギムリの友情について原稿用紙8枚の読書感想文を書きました。「仲が悪かった相手と友達になれることはすごいことだとおもいますまる」みたいな内容でした。完全に馬鹿です。)

 2人が仲たがいを辞めるのはロスロリアンでのシーンですが、

「そしてかれはこの土地の中をあちこち出歩くのに、度々ギムリを連れ出し、その変わり方はみんなを驚かせずにはいられませんでした」(『旅の仲間』下2、p97

とあるように、この行動の主語はレゴラスなんです。これは「レゴラスの方に先に心境の変化が合って、主体的にギムリに働きかけた」とも読み取れないでしょうか。勿論、ギムリの方も律義に付き合ってあげるあたり、だいぶ穏やかになってるとは思います。(ロスロリアンの土地の性質か、奥方様の魔力かはわかりませんがw)それでも、基本的に不変の存在であるエルフが「変わる」ということ、これがとても特別で稀有なものに思えました。

「その種族にしては変わっている」。こういった要素はやはりキャラクターを立たせます。

ましてや、それまで「旅の仲間」を通して描かれてきたエルフと言えば、不老不死で、不変で、自分たちの世界に閉じこもっていて、中つ国の危機に際してもさっさと船で海の向こうに逃げてしまうような、どこかお高くとまった種族。その代表として旅に参加したレゴラスが、今まで嫌い合っていた種族に歩み寄ることができる。大げさな言い方ですが、私はここに『指輪物語』における善の勢力の本質を見たような気がしたのです。以前読んだエッセイで次のような一文がありました。

 

「だからこそこの物語では、唯一であることは悪なのだ。誰にでも絶対に仲間がおり、必ず友か伴侶が寄り添う。これだけ多くの存在が登場しながら、一人で行動するのを好む者はいない。」(宇月原晴明「<(ザ・ロード)>という呪い」『ユリイカ 総特集『指輪物語』の世界 ファンタジーの可能性』青土社、2002年、p84

 

 サウロン、そして《一つの指輪》――この強大な”one“に立ち向かうためには、バラバラだった自由の民が団結するしかありません。誰かの独裁や強制によってではなく、あくまで自主的に、互いに手を取り合うこと。”Rule them all” とは違うんだぞ!という気概を見せつけないといかん訳です。メリーとピピンがエントたちを説得し、ローハン軍がゴンドールを支援するため遠征し、サムが「指輪の重荷は背負えなくても」とフロドを背負うあのシーンに見たカタルシスを、レゴラスとギムリの中にも見たのだと思います。

 

 

◆第4紀を知る者――最後の<旅の仲間>として

ホビット庄歴1541年 この年の三月一日、エレスサール王遂に崩御される。…(中略)…この後、レゴラス、イシリアンで灰色の船を建造し、アンドゥインを下って、海を渡った。かれとともにドワーフのギムリも行ったという。この船が去った時、中つ国では、指輪の仲間は跡を絶った。」(『追補編』,p169

 

 原作も読み終わり、「さあ、帰ったよ」の何とも言えぬ喪失感と愛おしさに耐えきれず、手を伸ばした追補編で、さらなる切なさに見舞われたのがこの下りでした。追補編には、指輪戦争の「その後」の仲間たちの経緯が年表や物語形式(一部抜粋)でつづられています。レゴラスやギムリは、それぞれゴンドールの近くに領地を持ち、アラゴルンを始め人間の世界の復興に貢献します。ところがエルフと違い、人やホビットといった定命の者には必ず寿命があります。フロドを追って西へ旅立ったサム、ゴンドールで短い余生を終えたメリーとピピン、そして天寿を全うしていったアラゴルン(エレスサール王)。迫る寿命はドワーフにも同じことだったはずです。この調子で親友まで死んじゃったら、レゴラス大丈夫??悲しみが深すぎると死ぬ設定のエルフだけど大丈夫?? と不安に思いつつページをめくる私。ちなみにこれより前に記載されている「アラゴルンとアルウェンの物語」で、エレスサールを看取ったアルウェンは「私を運ぶ船はもうありません」と言って悲しみに暮れたまま死を受け入れる訳ですが、一方同じくずるずる残っちゃってとっくに船が無いであろうレゴラスが出した回答。船が無いなら作ればいいじゃない。親友?連れてけばいいじゃない。

はい。なんというかね。一周回ってすがすがしいですよ。やっぱこいつはカラズラスで太陽探しに行ったあのエルフのままだわ!と笑いすらこみあげました。

同時に、「あんなに海に漕がれていたのに、アラゴルンが死ぬまでは120年も待って、その後ギムリのことは根性で連れていくんだなw」という追跡トリオの何とも言えない子の絆も噛みしめて、とても人間臭いと思ったりもしました。そう、第4紀まで来るとレゴラスはエルフなのにとても「人間臭い」。

 トールキン教授には「レゴラスは九人の徒歩(かち)の者の中でおそらくもっとも勲が少なかった」(『終わらざりし物語』下、p174)なんて言われちゃってるレゴラスですが、私はレゴラスが《旅の仲間》の一員であった最大の意義とは「彼がエルフであったこと」だと思っています。ガンダルフが第3紀の終わりに西へ旅立ってしまっていますし、ギムリも西の地に渡ったところで寿命が永遠になるわけではないのでいずれ死んでしまいます。

第4紀と言う新しい時代に、かつての仲間が、友が、どうやって生きて、何に笑って何を育んで、そしていかにして死んでいったのか――。奇しくも『追補編』には死に際してアラゴルンがアルウェンにこんなことを言っています。

 「われらが共に暮らした日々の思い出を西方に運び去れば、その思い出はかの地で色褪せることは無かろう」(『追補編』、p85)

 アルウェンはこれを拒否して人間の運命(=死)を受け入れているわけですが、じゃあそのアルウェンが死んでしまう以上、思い出を思い出のまま保持してられる人って誰よ? レゴラスじゃね?と。
カメラもビデオも、それに準ずる魔法技術も(おそらく)無い中つ国で、友の人生をずっと見続けて、ずっと自分の記憶として覚え続けていられる《旅の仲間》。これってすごく素敵で重要な事じゃないでしょうか?

変化を学び、成長し、ドワーフと友情を結び、誰よりもエルフらしくないエルフになってしまったように思えたレゴラスが、最後の最後でエルフであるがゆえにできることがある。これに気付いた時、本当の意味でこのキャラクターが大好きになったのでした。

 

◆おわりに

 さて、冒頭の容姿に関する項目で、「どうやらレゴラスを「王子様」として好きになったのではなさそうだ」と書きました。難しいのですが、中学生だった当時から「私の王子様♡(きゃはっ)」っていうテンションじゃ無いな…なんだろうな、この感覚…と思っていたんですが、そのヒントは「私の」という所有格にありました。だいたい、お伽噺で出てくる「王子」って、「お姫様」の対義語としてというか、相手ありきの文脈で登場する付属品みたいだと思っていました。(ゲームの主人公の王子設定とかも有るけどさ…DQ2とか、あれはまた「未熟な若者」っていう属性の一つじゃん?)

 追補編を読むとわかることですが、他のキャラクターたちはホビッツも人間組もそれぞれ結婚して家庭を持って身を落ちつけていく中、レゴラスとギムリにはその気配が無いんですね。それよりも「中つ国にまだ見るべき美しいもの」を求めてあちこち旅をして、いつまでも自由です。結婚や恋人の存在を束縛と言うつもりはありませんが、やっぱりこう好きなキャラクターが作品内で特定の誰かとくっついちゃうと、疑似失恋のような淋しい気持ちになるのは当時の自分にもあったようで、そう言う意味で「誰のものにもならない」状態のレゴラスってすごく新鮮だったのだと思います。(ギムリもそうなんですが、彼の心には奥方様への尊敬と憧憬があまりに大切な場所に座っている気がします)

 だから別に「私の」にしたいとか思わない。なぜなら最後の選択も含めてトコトン自由な有り様にこそ、最大の魅力を感じたから。空を飛ぶ鳥を見て「いいなあ」と思うような感覚ですよ。別に捕まえたいとか、自分も飛びたいとかじゃなく、ひたすら清々しい気持ちになって元気を貰うような。

 今更言うまでもありませんが「レゴラス(Legolas)」の名前の意味は“緑葉”です。何とも瑞々しくて若々しいそんな響きに、「中つ国にまだ見るべき美しいもの」ならぬ「『指輪物語』という物語にまだ見るべき美しいもの」の一つを見て、たまらぬほど活力を貰うのです。

 

 

※引用文献のページ数は文庫版に準ずる。

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Tolkien Witing Day: お薦め関連書籍

Reading The Lord Of the Rings :New Writings Tolkien’s classic

Edited by Robert Eaglestone

 
洋書。トールキンの著作についてのエッセイ集。様々なテーマ別に批評家や研究者、各分野のライターの見解が幅広く知れる一冊。
とりわけ興味深いのがPart 3:Gender, Sexuality, and classの章収録のテーマである”Woman”(女性), ”Masculinity”(男らしさ), ”Homoeroticism”(ホモエロティシズム), ”Service”(奉仕)に関する4篇。ジェンダー方面からは何かと女性の役割が弱いだの男性権威主義的だのホモソーシャルだのと指摘を受けがちなトールキン作品における、キャラクター同士の関係性や表象についてかなり突っ込んだ視点で書かれています。「こういうところ、好きだなあ」「ここのやりとりが熱いよね!」と思っていたそんな感情に、論理的に説明をつけてもらう感覚とでもいいましょうか。
 原作だと台詞や地の文といった「言葉」によって表わされていた関係性が、映像になった時にどういう風に変化していたのか、そこの読み取れる感情の糸etc... キャラ重視で深読みに深読みを重ねたい人には、読み物として十分面白い文章です。
 もちろん、他の章の批評史や、時間の概念について、一つの指輪についての考察などなど他にも多様な角度で考察がまとめられておりますので、自分の興味のあるトピックからかいつまんで読める「評論アンソロジー」のような本です。
 
 

ユリイカ 詩と批評「特集 トールキン ――モダンファンタジーの王国」(1992 vol.24-7)

ユリイカ 4月臨時増刊号「総特集 『指輪物語の世界』 ファンタジーの可能性」(2002)

 
今も様々なテーマで批評文やエッセイ・コラムを載せてくれているユリイカのトールキン関連特集の号。それぞれ20年前と14年前のものですが、前者はトールキン自身への作家性や原作のテキスト読み込み要素が多めなのに対し、後者は映画の公開に合わせて組まれた特集なので映画LOTRへの言及も見られ、比較すると面白いです。
ジェンダー方面だと小谷真理「リングワールドふたたび 『指輪物語』あるいはフェミニストファンタジーの起源」、マリオン・ジマー・ブラドリー「人間と小さい人と英雄崇拝」の二つは読み物としてもオススメ。
 

ファラミアは、アラゴルンに対するエオウィンの愛は男性としての英雄崇拝にすぎぬと明快な言葉で切って捨てる。「『あの方はおそらく、あなたには若い兵士の目に映ずる偉大な大将のように讃嘆すべきものに見えたのでしょう。あの方はその通りだからです……』」(ブラッドリー,133p)



 エオウィンもまた“英雄時代”――少女が自分の性別と限界に反抗し、男性的行為を夢見る時代の終焉を体現している。(ブラッドリー、132p


 
この辺のキャラクター心理を、巧みに噛み砕いて説明してくれているくだりなんかは「成程!」と膝を打つ部分です。
映画だけ見た人に「エオウィンって要するにアラゴルンにフラれたんでしょ?」と言われると、「違う!そんな簡単な事情じゃ無くてですね…!」と前のめりで説明したくなるあれこれ。先人の言葉を借りて理論武装(?)してみるのもいかがでしょうか(笑)
 
 
Unsung Heroes Of The Lord Of The Rings: From The Page To The Screen  Lynnette R. Porter 
 
こちらもまた洋書です。(日本語訳未出版)タイトルの「謳われざる英雄たち」とあるように、批評分野において扱いがいまいち地味なキャラにスポットを当てて考察・批評を行っている本。
だいたい指輪の研究で文献を読むと、やはり取り上げられるのはフロド、サム、アラゴルン、あとジェンダー系で人気なエオウィンあたりに偏るのが現状ですが、この本ではそれ以外のキャラクターの役割や象徴について細かいキャラ考察を行っています。
なんといってもレゴラスとギムリをピックアップしてくれていることが嬉しい一冊!

Gimli and Legoras both present the most important coronation “gifts” to Aragorn: his crown and his bride. Through their place in the ceremony, Gimli and Legoras are shown in important roles. … Legoras leads the contimgent of Elves who, seemingly Aragorn’s surprise, have arrived to present Arwen as a bride. … Thus, Gimli and Legoras symbolically lead Aragorn into his two greatest roles as king and as husband/bridegroom.( Porter ,158p)


上記は、いわゆる追跡トリオ――ことアラゴルン・レゴラス・ギムリのトリオの関係性に新しい視点を貰った下りです。映画の戴冠式シーンでそれぞれ美味しい立ち位置を貰っていたあのシーンについての言及ですが、「ガンダルフの横で王冠を捧げ持つギムリ→王になることへの手伝い」「花嫁(アルウェン)を指し示すレゴラス→夫/花婿になることへの手伝い」という内容。ずっと野伏の身分だったアラゴルンが真にエレスサールになるときにこの3人の絆が映像で表彰されていたのだなと実感させられました。
 原作・映画両方の描写の共通点や差異についても触れているので、キャラ改変が大きかったアルウェンなどの考察もお薦めです。
 


とまあ、若干批評系・ジェンダー系に偏ったチョイスではありますが、お薦め関連書籍4冊でした。
原作や映画に触れた時に「ここのシーン、台詞、言葉にならないくらい良い!!」と思ったり、「何でこんな風に改変しちゃった?どういう意図だ?」と首をひねったり、そういう時に「こういう切り口・見方で考えたら?」とヒントをくれる、あるいは自分が上手く言い表せなかった言葉を示してくれる――これが批評文・評論文の面白さだと思っています。

 きっと原作を読み返すとき、新たな発見のヒントにもなるのではないでしょうか?
 
 
※この記事はTolkien Writing Day(9月22日)に参加しています。http://bagend.me/writing-day/ 
 

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