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J.R.R.トールキンの『指輪物語』におけるホモソーシャリティとslash文化1-1

<<序論

第1章 『指輪物語』におけるホモソーシャリティ

1.男同士の絆

 「愛。『指輪物語』は、この感情に支配されている。……ロマンティックな愛はほとんど描かれず、それにかわるものとして、騎士道的作法にのっとった愛が登場する」(ブラッドリー、p127)とマリオン・ジマー・ブラッドリーが述べるように、『指輪物語』において男性を中心とした仲間同士の友情や絆は、物語の重要な側面を占めている。とりわけ物語の核となるのは、第1部の副題にも掲げられている≪旅の仲間(The Fellowship of the Ring)≫と呼ばれる9人の仲間とその関係性だろう。彼らは指輪を葬りサウロンを打ち倒すという共通の目的のために、それぞれの種族を代表する男性で構成され、危険に満ちた旅という困難で特殊な状況を、強い連帯と結束で乗り越えていく。その結束の中心にあるのは葬るべき共通の敵としての指輪への畏れであり、さらにはその向こうにあるサウロンやモルドール国という脅威への対抗心であるのだが、同時に≪旅の仲間≫の在り方はその指輪を現在所持する主人公フロドを中心に置き、彼の身を守る者たちとしても見ることができる。例えば序盤からフロドと行動を共にし続けてきたサム、メリー、ピピンの3人は、「『でも、殿様、まさかフロドの旦那を一人ぼっちでおやりになるんじゃないでしょう?』」(『旅の仲間/下1』,p136)、「『ぼくたちホビットはお互いに離れちゃいけないんだ。……ぼくは鎖で縛られない限り、行くつもりだ。』」(『旅の仲間/下1』,p138)の台詞にもあるように、自ら進んで危険な旅への同行を志願する。さらにガンダルフやアラゴルンといった、知恵や武術に長けた仲間たちは常にフロドを気にかける。そこには自分より弱い者としてのホビットを守るという“強者の、弱者に対する庇護“という側面と、指輪という重荷を進んで引き受ける者に対する敬意が見て取れる。映画版において、フロドが指輪を運ぶと申し出た際に、真っ先に跪き剣を捧げると誓ったアラゴルンに続き、レゴラス、ギムリ、ボロミアと次々に旅への同行を誓う演出は、フロドと指輪を中心に置いた≪守るもの⇔守られるもの≫という構図をより顕著に表現していると言えるだろう。

 なかでも旅の始まりから終わりまで、ほとんど常にフロドと行動を共にするサムの存在は、≪旅の仲間≫の枠を超えて際立っている。サムは当初フロドの家に仕えるただの庭師であり、英雄的な行為や冒険からは程遠い立場にあった。そもそもホビット庄からエルフの国・裂け谷へと向かう旅に同行する羽目になったのも、一つの指輪に関するガンダルフとフロドの話を立ち聞きしてしまったことと、「エルフを見てみたい」という無邪気な興味に端を発している。ところが、いざ旅が始まり、そこに潜む危険が分かってくると、サムの気持ちにも変化が現れる。エルフに会うという望みが偶然叶った後、フロドは「お前、今でもわたしと来るつもりかね?」(『旅の仲間  /上1』,p198)とサムに意思確認をするが、それに対するサムの回答は以下のようなものであった。
 
「あの方(※フロド)の側を離れるなよ! ってみんなはおらにいっただ。離れるだと! と、おらはいってやった。けっしてそんなつもりはねえ。たとえあの方が月へ上られようと、おらはあの方について行くだ。」……「旦那とおらと二人、これから長い旅に出て、暗闇にはいって行こうとしているのをおらは知っています。それに引き返すことはできないことも知ってますだ。おらが望んでいることは、今ではエルフを見ることでもねえ、竜を見ることでもねえ、山々を見ることでもねえ――おらが何を望んでいるか、それは自分でもはっきりわからねえです。だがおらは一期終えるまでに何かしなきゃならねえだ。……」(同上,p200)
 
 これ以降のサムは常にフロドの身を案じ、「たといこの背中が裂けようと、旦那をしょって」(『王の帰還/下』,p113)献身的にフロドを支え続ける。フロドが指輪の力に蝕まれていこうとも、「おらは旦那が好きだ。旦那はこうなんだ。それに時々、どういうわけでか光が透けるみたいだ。だがどっちだろうと、おらは旦那が好きだよ」(『二つの塔/下』,p128)というサムの心は変わらない。『指輪物語』におけるホモソーシャリティを論じる時、多くの文献がフロドとサムの関係性に主眼を置く理由は、敬意・忠誠・献身といった絆の構図がこの2人の間に凝縮されているためではないだろうか。

 一方、アラゴルンたちその他の≪旅の仲間≫は、ボロミアの死によって離散するものの、敵に攫われたメリーとピピンを救うために旅を続ける。行く先々で彼らも新しい登場人物に出会い、9人の輪を超えて≪旅の仲間≫の絆を広げていく。特に第2部以降、物語の舞台がローハンやゴンドールといった人間の国における大規模な戦いの場へと移ると、そこで描かれる関係性や感情も、主従関係やそれに伴う忠誠心、あるいは兵をまとめ上げ悪に対抗しうる勇敢で強いリーダーへの尊崇や憧れといったものの比重が大きくなる。かくしてピピンは自分の命を救ってくれたボロミアへの恩から、その父親であるデネソール公への奉公を半ば衝動的に申し出、メリーはローハンの王セオデンに対し、「殿を父ともお慕い申しあげます」(『王の帰還/上』,p87)と騎士の一員として忠誠を誓う。そして未来の王であるアラゴルンは、紛れもない英雄の末裔として瞬く間に人望を集めていく。これまで共に旅をしてきた仲間は言うまでもなく、エオメル、ファラミアといった人間の勇者たちも「かれを知るようになれば誰でもそれぞれのやり方に従ってかれを愛するようになる」(同上,p319)のだ。

 このように戦いの中で描かれる強い絆は、作中に置いてしばしば「愛」という言葉で表現される。フロドとサムの例を見れば明らかなように、それは戦いという危険を共有することで生まれ、育まれていくものだ。では逆に、その特別な経験を共有できない者たちはどうなるか。『指輪物語』において戦場に立てない者たち――すなわち女性キャラクターという視点から、物語における「愛」の在り方を考察していきたい。


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