世界を変えたのは誰か? ~映画のガラドリエルナレーションについて~
ーー世界は変わった。
水からそれを感じる。
大地から感じる。
大気にその匂いが満ちている。
映画を見慣れた人ならピンとくるでしょう、ロード・オブ・ザ・リング幕開けを飾るガラドリエルの独白です。
英語での台詞は以下の通り。
"The world is changed.
I feel it in the water.
I feel it in the earth.
I smell it in the air. "
実は私、この部分を長いこと"The world has changed."という現在完了(have +過去分詞)の文だと誤解していたんですが、(そのリスニング力はどうなのよという突っ込みは甘んじて受けます…) 全然別件の調べ物をしていて、改めてスクリプトを確認して気付いたんですね。
あ、これ受け身の構文だったんだ、と。
日本語字幕や吹き替えだと「世界は変わった」と、changeが自動詞のように訳されているので見落としてしまってたんですが、英語に忠実に訳すなら「世界は変えられた、変貌させられた」というのがより正確。
こう考えると、省略されてしまった本来の主語、「世界を変えようとしている何者か」の存在が浮き上がってくるのです。
では、それは誰なのか?
◆仮説1: 指輪、ないしはサウロンへの示唆?
真っ先に浮かぶのが本作品の悪役にしてラスボスの冥王サウロン。中つ国を支配し、闇に染めようと目論んでいる存在です。
彼の復活とその邪悪な意思が、水に大気に満ちているのを察知したガラドリエル様が、独白でナレーションしている…これは普通に考え得ることです。
第二紀にあった壮絶な戦いのようなことが再び起ころうとしている、と感覚を研ぎ澄ませ、警鐘を鳴らす。そして不穏な指輪のテーマが流れ、浮かび上がるタイトル…。なるほど、アリです。
ただ、ここで気になるのはナレーションの後半部。
「かつてあったものが失われ、忘れ去られた。今はもう誰の記憶にも残っていない(原文:"Much that once was is lost; for none now live who remember it")」
いや?待って??
覚えてる人、まだ中つ国におるよね??
エルロンド卿とかスランドゥイルとかキアダンとかさ。少ないしほとんどエルフ限定だけど、さすがに「誰の記憶にも」は言い過ぎなんちゃいます??
そこでさらに考えてみた。
そもそも、このナレーションしてるガラドリエル様っていつ・どこにいるんだ??
◆仮説2: 今は文字通り「今」なんだよ!
最初は普通に物語開始前夜(具体的には第三紀3000年くらい)にロスロリアンで危機を察知したガラ様のナレーションを想定していたんです。だからこそサウロン復活の兆しとか、指輪への不穏な導入として成り立つと思ってた。
けれど、もしこれが本当に現実時間での「今」、映画の外側にいる私たち観客に語りかける声だとしたら、どうだろう?
ご存知の通り、中つ国はトールキンの創作世界ではありますが、基本的に太古の地球という設定をとっています。
つまり指輪物語の出来事や地理・種族は、「今はすっかり消え去ってしまったけど、かつては存在していたものたち」という体で描かれているのです。(そもそも指輪物語がビルボとフロドの書いた赤表紙本をトールキンが英語訳したものだという設定がそれを指し示していますし、現代は太陽の第6紀か第7紀にあたるとトールキンは述べています。)
魔法も妖精も消え、高層ビルに自動車が普及する現代においても、普通の方法では辿り着けないどこか西の海の果てに至福の国はあって、ガラドリエルたち西に渡ったエルフは生きているとしたら……
「かつてあったものが失われ忘れ去られた
今は(現世に住む者の)誰の記憶にも残っていない」
この台詞が、遠いアマンの地から、私たち現代人に向けて「貴方たちの知らない指輪の物語を語りましょう」と呼びかける奥方様の声に聞こえはしないでしょうか?
◆世界を変えたのは誰か?
仮説2を踏まえると、世界の変貌とはサウロンによる支配というレベルのものではなく、中つ国の姿が変わり、エルフもドワーフもホビットよ消えた「今」のアルダ(地球)の姿に他なりません。
ここで最初の問いに戻ります。世界は何/誰によって変貌させられたのか?
奇しくも、『指輪物語』の前日譚である『ホビットの冒険』の中で行われるビルボとゴラムのなぞなぞ勝負にこんな問題があります。
「どんなものでも食べつくす、鳥も、獣も、木も草も。鉄も、巌も、かみくだき、勇士を殺し、町をほろぼし、高い山さえ、ちりとなす。」(『ホビットの冒険』岩波書店版、128p)
答えは【時間】な訳ですが、まさにこの時間こそ、The world is changed の隠れた主語なのではと思わずにはいられません。
とまあこんなことを考えて調べ物をしていたら、中つ国wikiのコメント欄で「映画の第一部冒頭、ガラドリエルの独白として語られる「世界は変わった。水からそれを感じる。大地から感じる。大気にその匂いがする。」というセリフは、実は原作第6巻、ミナス・ティリスから(エドラス経由で)北方へ戻る途中のケレボルン&ガラドリエルと会ったときに、木の鬚が言った言葉から取られているらしい。 -- カイト」というコメントを発見しました。原作の該当箇所は以下の通り。
「世の中は変わりつつありますからなあ。わしは水の中にそれを感じますのじゃ。土の中に感じますのじゃ。空気の中に感じますのじゃ。またふたたびお目にかかることがあろうとは思えますまい」(『王の帰還 下』210p)
ここは、指輪の旅がすっかり終わり、これからはエルフの時代が終わって人間の時代になるよーっていう話をしている場面での台詞なので、映画での使われ方とはだいぶ印象が違いますね。こちらははっきりと、エルフや数々の歴史が忘れ去られていくであろう第4紀以降の中つ国の変貌を示唆しているように思います。
これをあえて映画の冒頭にもってきた意味。それはやはり、中つ国を忘れた私たちに向けて、映画と観客、虚構と現実、あるいはあったかもしれない遠い昔と今――それらを繋ぐ橋渡しだったのではないでしょうか。
次に映画を見直す時は(もちろんこれから初めて見る人も!)、そんな事を頭の片隅に留めて、ガラドリエル様の冒頭ナレーションに耳を傾けて見てはいかがでしょうか。
(原作の引用ページ数は文庫版に準じる)